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2011年04月08日 (金) | Edit |
ずっと書きそびれていた震災当日のことを忘れてしまう前に書いておきたいと思います。

あの日はちょうど和の学年の参観日&保護者会がありました。
まーは風邪引きだったのかな?
幼稚園をお休みしていてだんなばばのお家で預かってもらってました。

学年最後の参観日で、教室での学習発表会。
和はスイミーの劇で魚の役。
他には算数の得意な子は掛算の暗唱発表だったり、
体育の得意な子はとびばこを飛んで見せたり(教室にとびばこ…)。
まだまだ学習発表会もかわいい感じです。

5時間目が終わり、帰りの会が終わるまで親たちは廊下で待っていました。

その時に地震がありました。

子供たちは最初ぽかんとしてたように思います。
しばらくしてからみんな机の下にもぐりました。
先生は誰かがふざけて教壇を揺らしているのかと思ったそうです。

私たちはなぜかみんなで柱を押さえてました。
つかまるというより、みんな倒れるな、と念じていたと思います。
夏休みに耐震補強の工事を行ったばかりだったので、
役員をされていたお母さんが「補強工事をしたから大丈夫!!」と叫んでいました。
今まで体験したことが無い揺れの長さ、大きさに普通ではないと思いました。

揺れが治まり、その頃には携帯等で三陸沖の地震であると情報が入り始めました。

まずは実家に連絡を入れましたがもう電話は通じませんでした。

次にだんなばばのところにメール。
私の送ったメールはすぐに届いていて、
おばーちゃんは返信を送ってくれたのですがそれが私に届いたのは夜6時過ぎでした。
「まーはテーブルの下で遊んでいます」

学校では予定通り保護者会が行われることになりました。
ただし子供だけの帰宅はなしで
保護者会に出ない親は子供をつれてかえること、
出席する場合は子供も一緒に教室に入ること。

保護者会が始まって先生の挨拶の途中で余震がきました。

しばらくみんなで机の下にもぐっていました。
揺れが静まった頃、先生が教室のテレビをつけ、津波の被害が出ていることを知りました。

保護者会は中止になり、
子供たちは校庭に集まってから、登校班で全校一斉下校になりました。

本来なら保護者を呼んで引き渡しになるところですが、
電話が通じないという事情があったのか、
2・3日前に6年生が抜けた新登校班での一斉下校の練習をしたばかりだったのでそのためかも知れません。

まだ余震の続く中、班に付き添って帰りました。

今回は私が学校にいる時でよかったのですが
それ以来、和には家の鍵を持たせることにしました。
今までは無くされたら大変と必要なときにしか持たせていなかったので。

私たちが帰宅しても電話はいっこうに通じず、
メールも送れなくなってしまいました。
実家に通じないのはもちろん、だんなばばにも、だんなにも連絡がとれません。

まーを迎えに行きたくても(自転車で30分くらい)
和を置いていくわけにも行かず、すれちがうかも知れず待つのみです。
その頃おばーちゃんは保護者会が終わったよというメールを待っていたそうです。
メールが来ないと気づいたおばーちゃんがまーを連れてきてくれたのが6時前。
新築のおばーちゃんちが倒れるとは思いませんでしたが(;^ω^)
やっぱり顔を見るまで長かったです。

でもまーは余震の中、おばーちゃんといっぱい遊んでもらっていたのでよかったです。
和は、私がテレビに釘付けになってしまったのでDS三昧になっていたのでm(o´・ω・`o)mペコリン
…逆にうれしかったか?

テレビで被害が明らかになる中、
原町は大丈夫、地盤が強いから大丈夫。海から遠いから大丈夫と唱えていました。
戦時中無線塔が建てられていたほどで、
今までも地震の震度は周囲に比べてー1くらいだったんです。

まーが帰ってきてしばらくして実家の兄からメールが届きました。
地震直後のもので、地震による被害はないこと。
タイムラグはありましたが安心しました。
実際は父が旅行に出ていてまだ連絡はついてなかったんですが。

そんな時、てっきり帰れないまま会社にいるのかと思っていただんながひょっこり帰ってきました。

だんなの会社では一度目の地震で帰宅命令が出て、
余震のときにはもう帰り支度をして公園にいたそうです。
…その時学校は保護者会してたぞ?のんきすぎたのか?

同僚の、やはり実家が福島県郡山市にある方がこれからそちらに向かうというので
乗せてもらって帰ってきたのでした。

片足ギブスで、バイクの後ろ。
よく杖まで持って帰れたものです(゚∀゚ ;)タラー

本当にありがとうございました(ωV_vω)ペコ
なのにレトルトカレーしか出せなくて申し訳ありません。
もう夕飯の準備も出来なかったんだよ~。

だんなは携帯が通じなくてもツイッターが生きていたので逐一つぶやいていたらしいです。
しかし、私はツイッターは未知の世界。
覚えたてのブログに大丈夫?とか入れてたのに見ていなかったか。
今後はツイッターも覚えなくてはね。

これがあの一日。
でも私たちにとっての震災は次の日から始まったのです。




































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