--年--月--日 (--) | Edit |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2011年05月02日 (月) | Edit |
翌日は朝ごはんの前に両親の散歩にお付き合い。

山登りや秋のキノコ狩りが生きがいの両親。
屋内退避の間は思うように出られず逆に体調を崩していました。

行くのはご本陣の山。
山というか丘?
最近、上の方は造成されちょっとした公園になっています。

和の出産で里帰りしたときには母と柴犬のじゅうべいと毎日歩いた道です。
途中テントを張ってボランティアに来ている方と出会いました。
ありがとうございます(ωV_vω)ペコ

さくらとからしな
奥に見える黄色はからし菜の花。例年はこんなに伸びる前に摘み取られてしまうのですが、今年は取る人もなく。

みずばしょう
水芭蕉はちょっと終わりかけでした。

上の方には震災の跡が。

じわれがあります

かいだんも

朝食の後にはお墓へ。

お墓を撮ってごめんなさい


やはり倒れたり、90度ずれちゃったりしているものも。
私たちがお墓参りをしている間にクレーンつきの車が来てました。早く直してあげられるといいですね。
うちのお墓はちょっとずれたくらい。
この前兄が来たときに直したそうです。

家の被害はこれくらい。

門に被害

窓からひびわれ

家の中は物が落ちたくらいでタンスも倒れなかったそうです。

しかし近所の神社には被害が。
この神社は今年のお正月に和たちとお参りにきたところ。

神社の鳥居

神社あっぷ

普通夏休みにしか帰省しないのですが、
前述のじゅうべいが秋口に亡くなり、お骨を庭に埋めるために帰省していました。
着いたその夜にだんながインフルにかかり大晦日に病院に行ったり、大変に迷惑をかけましたが今になれば、行っておいてよかった…!!

生活の面においてはだいぶ不自由がなくなりましたが、
原発の危機が去ったわけではありません。
学校は閉鎖され、残っている子供たちは圏外の学校へ通っています。
病院も入院は出来ないそうです。
決してこの町は復興に向かっているわけではないのです。

それでも今までのように暮らしている両親に会ってとても安心しました。
一日も早く子供たちを連れて来れますように…。




ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
2011年05月01日 (日) | Edit |
福島駅には両親と仕事が休みだった兄の3人で迎えにきてくれました。

福島駅の駅ビル内で早めのお昼を食べ(回転寿司~♪)
夕食の買い物をして行きます。
普段の買い物は隣の相馬市に車で行っています。
毎日行くわけにはいかないので(ガソリンがかかりますからね)
買える時には魚~っ刺身~っになるようです。

福島市内の伯母のところに顔を出し、南相馬へ向かいます。

途中、川俣村、飯館村を通って行きます。
テレビで見ていると福島県の人全てがマスクをして暮らしているように言われますが、している人もいればいない人も。高校生も普通に歩っています。部活帰りかな。
私は一応マスクを持ってきていたのですが結局使いませんでした。
ただ、飯館村ではこの時期なのに田に水は張られず、畑に出ている人もいませんでした。

地震による被害はところどころで屋根瓦が落ちブルーシートがかかっていたり、道路も補修の跡があります。

1時間半程で南相馬へ。
市内に入ると驚くほどに車が走っています。
商店街はシャッターの閉まっている店も多いのですがこれは元からか(;^ω^)
個人店はだいぶ戻ってきたようです。
大型のスーパーもこの連休前後で開くようになるそうで市内で買い物が出来るようになります。今までは閉鎖店舗から開いている店舗へのシャトルバスが出たりしていたそう。
屋内退避から緊急時避難区域に変わり、
郵便も宅急便も新聞も届くようになったと聞いて一安心です。

実家に着いたら、暗くなる前に浜の方へ向かいます。
やはり見ておきたいと思ったので。

6号線を超えると内陸とはまったく違います。
海沿いを走る国道の海側、見えるものはそこらじゅうに打ち上げられた漁船、転がった大木、汚泥。それだけです。
田んぼがあり住宅があり松林があったところです。その生活の全てが流され、まっ平らになっています。
国道から海が見えるなんて思いもしませんでした。

カメラを向けることはどうしても出来ませんでした。
テレビやネットで映されているそのままです。
それが自分の目の前に広がると全く違うものになります。
最初は痛ましいと思って見ていましたが、行っても行っても、青森までもこの風景が広がっているのかと思うと次第に怖くなってきます。

避難していた母の実家(私のいとこ夫婦)が戻ってきているというので顔を出していくことにしました。
6号線を超えてすぐのところで野菜や園芸、米作をしています。
今年は作付けも出来ません。
作っていた野菜も出荷出来ません。
温室のランはとても綺麗に咲いています。
GWが過ぎたら関東にいる伯母のところにまた行くさ~。何もやることないからな、と。
津波はこの家の100m手前で止まりました。
本来、被災したはずの人々ではありません。こんな人々がこの町にたくさんいるのです。

道中たくさんの自衛隊車両と会いました。
浜の片付けに来て下さっているようです。
自衛隊の拠点にはたくさんのテントが並べられていました。
ここで寝起きしてあの浜に出て作業をしているのかと思うと本当に頭が下がります。

浜を行っている途中、天気雨が降りました。
手前に広がる瓦礫、奥には震災前と何も変わらない山、その頭上の雲から差し込む光の階段。
全ての悲しみを早く天上に連れて行ってあげて、と思いました。




ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村























2011年05月01日 (日) | Edit |
GW29日30日に一泊で南相馬市原町区の実家に行ってきました。
南相馬までは電車が通っていないので福島まで新幹線で行き、そこからは車で迎えに来てもらいます。

子供達は今回はパパとお留守番。
子無しで遠出するのは何年振りでしょうか。
1人で新幹線に乗るなんて10年振りくらいです。

気分はほとんどはじめてのおつかい

行きは指定が取れなかったので時間に余裕を持って出ます。
新幹線に乗る大宮まで2回乗り換え。
ちゃんと乗り換えの時間も調べていきます。
前の晩にだんなが「所沢駅から大宮までのバスが出てるよ」と教えてくれましたが、そんな急に言われても頭を切り替えられないので却下 ムリ(乂д´)

時間通りに大宮まで。
新幹線のホームには1本前の新幹線に乗れる時間に着きました。

が、ないんですけど、その電車…(。´・д・)?

ホームにいた駅員さんに聞いたらGWの時刻表になっているとのこと。
まぁ、予定の新幹線に乗ればいいことです。
車で福島駅に向かっている両親に乗る電車と到着時間のメールを入れます。

ホームの搭乗口のマーク。
はやぶさは見られませんでした(´-ω-`)

はやぶさ


新幹線の車窓からの風景は…残念ながら懐かしさはなし(;^ω^)

子無し時代の帰省は常磐線のスーパーひたち
和が生まれてからは車で常磐道というパターン。
楢葉の道の駅で休憩し公園で遊んで行きます。
なので原発のあの建屋も私たちにとっては
もうすぐおじいちゃんちに着くよといううれしい風景でした。

車内では文庫本を読みつつも乗りなれない電車に緊張。
もうすぐ到着時刻だけど…郡山に停まったっけ?

ぴろぴろろん♪と鳴ったのでデッキに向かうと郡山に到着のアナウンス。
(*゚Д゚) アレ?

GW時刻表の仕業でした(゚∀゚ ;)タラー

大宮までの連絡は日付指定で調べていたのに、
新幹線の時刻はGWの前に調べていたので通常の時刻表でした。
通常1時間ちょっとですが今回は1時間半ほどかかるようです。
途中速度を落としていたり、
郡山では在来線との連絡待ちで10分停車とか。新幹線なのに~

30分の遅刻になってしまいましたが
無事に福島に着きました。

ちなみにもう1人の兄が2週間前同じルートで原町に行っているのですが大宮でやまびこと間違ってあさまに乗ってしまい2時間遅刻したそうです(;^ω^)
同じ轍は踏むまいと一生懸命調べて行ったんだけどね~




ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
















2011年04月21日 (木) | Edit |
私の故郷は福島県の南相馬市というところにあります。
今、震災で大変なことになっています。

相馬市、南相馬市では7月に相馬野追いという伝統行事があります。
騎馬に甲冑の武者が相馬市の神社から出陣して市内を練り歩き、雲雀ヶ原で神旗争奪戦を行います。
ホントはもっとなんかいろいろあって、神事なんだよね。

地元民なので実はあんまり見に行ったことはありません(;^ω^)
野馬追いの間は、特に原町でやる2日目は交通規制がかかるので、
家業はお休み。家族旅行に行ったりしてたし。

覚えているのは小学校くらいに神旗争奪戦を見たもの、
そして和が2歳ごろ帰省して騎馬行列を見に行った時です。

それでも相馬藩のご当主が今は東京に居て、
野馬追いの時に騎馬に乗るのは知っていました。

私が覚えてるのは殿様のご子息。
和と見たときかな?中学生くらいだったのかな?
あの子が殿様になるのか~
今時殿様ってどうよ、みたいなことを思った記憶があります。

その殿様が震災以来、相馬に帰ってきて活動をされているそうです。
これはお父さんの方ですね。

やっぱり殿様なんだ、と感動しました。
我が藩の危機ですものね。

皆の心の支えになってくれればいいなと、思います。


ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村











2011年04月08日 (金) | Edit |
ずっと書きそびれていた震災当日のことを忘れてしまう前に書いておきたいと思います。

あの日はちょうど和の学年の参観日&保護者会がありました。
まーは風邪引きだったのかな?
幼稚園をお休みしていてだんなばばのお家で預かってもらってました。

学年最後の参観日で、教室での学習発表会。
和はスイミーの劇で魚の役。
他には算数の得意な子は掛算の暗唱発表だったり、
体育の得意な子はとびばこを飛んで見せたり(教室にとびばこ…)。
まだまだ学習発表会もかわいい感じです。

5時間目が終わり、帰りの会が終わるまで親たちは廊下で待っていました。

その時に地震がありました。

子供たちは最初ぽかんとしてたように思います。
しばらくしてからみんな机の下にもぐりました。
先生は誰かがふざけて教壇を揺らしているのかと思ったそうです。

私たちはなぜかみんなで柱を押さえてました。
つかまるというより、みんな倒れるな、と念じていたと思います。
夏休みに耐震補強の工事を行ったばかりだったので、
役員をされていたお母さんが「補強工事をしたから大丈夫!!」と叫んでいました。
今まで体験したことが無い揺れの長さ、大きさに普通ではないと思いました。

揺れが治まり、その頃には携帯等で三陸沖の地震であると情報が入り始めました。

まずは実家に連絡を入れましたがもう電話は通じませんでした。

次にだんなばばのところにメール。
私の送ったメールはすぐに届いていて、
おばーちゃんは返信を送ってくれたのですがそれが私に届いたのは夜6時過ぎでした。
「まーはテーブルの下で遊んでいます」

学校では予定通り保護者会が行われることになりました。
ただし子供だけの帰宅はなしで
保護者会に出ない親は子供をつれてかえること、
出席する場合は子供も一緒に教室に入ること。

保護者会が始まって先生の挨拶の途中で余震がきました。

しばらくみんなで机の下にもぐっていました。
揺れが静まった頃、先生が教室のテレビをつけ、津波の被害が出ていることを知りました。

保護者会は中止になり、
子供たちは校庭に集まってから、登校班で全校一斉下校になりました。

本来なら保護者を呼んで引き渡しになるところですが、
電話が通じないという事情があったのか、
2・3日前に6年生が抜けた新登校班での一斉下校の練習をしたばかりだったのでそのためかも知れません。

まだ余震の続く中、班に付き添って帰りました。

今回は私が学校にいる時でよかったのですが
それ以来、和には家の鍵を持たせることにしました。
今までは無くされたら大変と必要なときにしか持たせていなかったので。

私たちが帰宅しても電話はいっこうに通じず、
メールも送れなくなってしまいました。
実家に通じないのはもちろん、だんなばばにも、だんなにも連絡がとれません。

まーを迎えに行きたくても(自転車で30分くらい)
和を置いていくわけにも行かず、すれちがうかも知れず待つのみです。
その頃おばーちゃんは保護者会が終わったよというメールを待っていたそうです。
メールが来ないと気づいたおばーちゃんがまーを連れてきてくれたのが6時前。
新築のおばーちゃんちが倒れるとは思いませんでしたが(;^ω^)
やっぱり顔を見るまで長かったです。

でもまーは余震の中、おばーちゃんといっぱい遊んでもらっていたのでよかったです。
和は、私がテレビに釘付けになってしまったのでDS三昧になっていたのでm(o´・ω・`o)mペコリン
…逆にうれしかったか?

テレビで被害が明らかになる中、
原町は大丈夫、地盤が強いから大丈夫。海から遠いから大丈夫と唱えていました。
戦時中無線塔が建てられていたほどで、
今までも地震の震度は周囲に比べてー1くらいだったんです。

まーが帰ってきてしばらくして実家の兄からメールが届きました。
地震直後のもので、地震による被害はないこと。
タイムラグはありましたが安心しました。
実際は父が旅行に出ていてまだ連絡はついてなかったんですが。

そんな時、てっきり帰れないまま会社にいるのかと思っていただんながひょっこり帰ってきました。

だんなの会社では一度目の地震で帰宅命令が出て、
余震のときにはもう帰り支度をして公園にいたそうです。
…その時学校は保護者会してたぞ?のんきすぎたのか?

同僚の、やはり実家が福島県郡山市にある方がこれからそちらに向かうというので
乗せてもらって帰ってきたのでした。

片足ギブスで、バイクの後ろ。
よく杖まで持って帰れたものです(゚∀゚ ;)タラー

本当にありがとうございました(ωV_vω)ペコ
なのにレトルトカレーしか出せなくて申し訳ありません。
もう夕飯の準備も出来なかったんだよ~。

だんなは携帯が通じなくてもツイッターが生きていたので逐一つぶやいていたらしいです。
しかし、私はツイッターは未知の世界。
覚えたてのブログに大丈夫?とか入れてたのに見ていなかったか。
今後はツイッターも覚えなくてはね。

これがあの一日。
でも私たちにとっての震災は次の日から始まったのです。





































上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。